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ハレバレとにっこり笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

批判を恐れる人の心理。

生き方 考え方 岡本太郎

批判されるのが恐い。

人間ならば、誰しもが抱く思いだろう。

 

中には「批判なんておそれるな!批判を恐れるのは無駄なことだ!」と勇ましく言う人もいる。芸術家や、起業家たちは特に、この考え方を持っている。

彼らの行動や発言を見る限り、本心からそう思っているのがわかる。

彼らは、どれだけ批判されても折れない信念を持っている。だから折れない。

この話は、前にも書いたので詳しくは以下のリンクを読んでほしい。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

批判を恐れるな、というのはわかった。

でも、批判を恐れるという現象はやはり存在する。

今回は、そもそも批判を恐れるということは、つまり何を恐れているのか、を突き詰めて考えてみたい。

若干、上の話とかぶるかもしれないが、あしからず。

 

批判されるということ。

批判されるというのは、つまり、自分の行動や発言を否定されるということだ。

「お前の発言は許せない!」

「お前の行動はまちがっている!」

「お前は人間としての良心がないのか!」

「このクズ人間め!」

などなど。

ようは、「否定される」ということだ。

 

否定されるということは、つまり仲間はずれにされることだ。

孤独になるということだ。

 

ここで、人間は二つのタイプに別れる。

一つは「ああ、たしかに、自分は最低な人間だ。」と反省するタイプ。

もう一方は「何言ってんだ!わかってないのはお前らの方だ!」と反逆するタイプ。

 

前者のタイプになると、人は自分を全否定したくなる。

自分の存在そのものが嫌になる。

消えてしまいたい。この世に存在しない方が良かった。などと思う。

 

もう一方のタイプはどうか。

絶対に、「私が間違ってました。すみません。」という態度を取らない。

語弊をおそれずにいえば、絶対に反省しない。

表面上はするかもしれないが、内心は反抗心で燃えている。

 

この違いはどこから生まれるのだろうか。

 

批判を恐れる人は、現在の自分に対して無責任だ。

「自分は最低だ」と思い、消え去りたくなる人、というのは、極論、自分の行動の責任を取らない人のことだ。

 

自分の否定された行動、発言を取り消したい、と思う。

不可能だとわかっているのに、いつまでも「取り消したい」「あれさえ無ければ」と思っている。

あれさえなければ、自分は今頃幸せに暮らしていたはずだったのに、と。

また、他人も過去の自分の行動、発言をとりあげて批判しているので、自分はそういう人間だと思われてしまった、もうその評価は変えられない、ということに悩む。

「過去の自分」という別人格を責めることでその辛さを紛らわそうとするのだ。

現在の自分の責任を考えない。

 

それはどういうことか。

このことは、批判されても折れない人たちの心理と比較するとよくわかる。

 

上のリンクでも書いたことだが、批判を恐れない人というのは、自分の行動、発言に自分なりの論理の一貫性を保っている。責任を取っている。プリンシプルを持っている。

自分でセルフ批判を繰り返し、それでもやっぱり「オレはこれが正しいと思う!」ということを貫く。

だから、他人から批判されても、自分なりの筋が通っていれば、それは価値観が違うだけなのだ、と堂々と構えていられる。

またそうやって自分なりの筋を通した行動であれば、少ないかもしれないが、一定数の人は必ず賛同してくれる。

彼らはそういう人のことだけを考える。

 

 

つまり、批判を恐れる、ということは、現在の自分の行動に責任が取れないということ。

自分の行動の結果を受け止めるように腹がくくれていないということだ。

 

そうはいっても・・・。

毎回毎回、本当に自分の筋を通せるかといったら、かなり難しいことだろう。

時には、自分の筋、プリンシプルに反した行動を取ってしまうこともある。

とっさの判断の場合に、一瞬で自分の行動を決めなければならない場面など、多々あるだろう。こういう時に、人は間違った行動をとってしまう。

「ああ、やっぱりああすれば良かった」と悩んでしまうこともあるだろう。

そうした行動に対してはやはり批判がくることになるだろう。

 

そういう時はどうすればいいのだろう。

僕はこの点についてはまだ明確な答えが出せていない。

 

自分が未熟者だった、とやはり反省するのが正しいような気もする。

いくらとっさの判断だったとはいえ、やはりそれは自分の行動、発言なのだから責任を持たなければならない、そこで誤るということは、普段の自分がなまけていた証拠だと思うから。

とっさの判断の時こそ、その人の本性、本音が出てしまうということだと思うから。

だから、自分のプリンシプルが身についている人であれば、どれだけ瞬間的な判断でも間違うはずがない、と思うから。

 

そして、素直に反省して、二度と同じ間違いを繰り返さないことが最善の行動だと思う。

 

また、その当時は自分の論理が通っていると思っていたけれど、後になって、そもそも自分の論理が間違っていた、と気づくこともあるだろう。

そういう時どうすればいいのかも、僕はまだ答えを出せていない。

徹底的に正しさ、潔癖さを求めていたら、それこそ死ぬまでかかっても到達できないだろう。

だったら、自分がその時正しいと思っていたこと、それ自体を誇りにしてしまうというのも一つの手だと思う。

つまり、「確かに後から考えれば間違っていたけれど、その当時は僕は自分の信念に従って行動できたのだから、それでいいじゃないか」と思うということだ。

そうやって、どんどん自分の考えを更新していくしかないような気もする。

完璧主義ではなにも進めないから。

 

もちろん、そのせいで迷惑や損害を受けた人にたいしては全力で謝罪、補償しなくてはならない。その当時いくら自分が正しいと思っていたとはいえ、やはり間違っていたと思うなら潔く謝るしかない。

自分の行動に責任をとる、ということは、たとえ間違っていたと後でわかったとしても、その時はちゃんと謝罪できる、ということも含んでいるのかもしれない。

 

いずれにしろ、現在の自分に責任を持てるかどうかが批判を恐れることと密接に関係しているのは間違いなさそうである。

 

批判を恐れる前に、まずは自分の行動にプライドを持つことから始めるべきなのだ。

 

ちなみに、こうやって偉そうに書いているけれど、僕自身そういう風にしっかり自分の行動に責任を取り切れているかといえば、そうでない部分が多いと思います。

書いて、自分自身に言い聞かせているのです。

それを公開するということは、自分の立場を明らかにすることになり、いよいよ自分自身が、責任を取らなければならない、と覚悟するきっかけになると考えたからです。

 

将来、この記事を投稿したことを後悔するような、そんな行動を取らないようにしなければならない、ということです。

「お前、さんざん偉そうに『自分の行動に責任をもて』とか書いていたクセに全然駄目じゃないか」と批判されることになるかもしれません。

全然駄目だったとしても、自分の理想として、こういう考えを持っているということをやはり公開しておくことは大事なのではないか、と思ったわけです。

 

あまりうまくまとまっていませんが、今回はここまで。

批判を恐れる人の恐怖心が少しでも軽減されますように。