ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

自己嫌悪はただの甘えだ

僕自身が、自己嫌悪することで甘え続けてきたうちの一人だ。

備忘録として、今回の記事を書く。

 

自己嫌悪に陥るということは、

「本当のオレはこんなはずじゃないんだ。このダメな自分は本当のオレじゃない。」

と考えることで、本当の自分の姿を直視することを避けようとする行為だ。

 

しかし、スガシカオさんの曲にもあるように、

本当のぼくはきっと こんな奴じゃないはずなんです

そう叫ぶぼくはたぶん 間違いなくそーゆー奴 

                           スガシカオ/サヨナラホームラン

なのである。

 

また、『ものぐさ精神分析』 の中で、岸田秀は以下のように述べている。

 

自己嫌悪とは、つまり、「架空の自分」が「現実の自分」を嫌悪している状態である。(略)「架空の自分」とは、(略)人にそう思ってもらいたいところの自分、自分でそう思いたいところの自分である。すなわち、「架空の自分」は、社会的承認の必要と自尊心とに支えられている。 

 

自己嫌悪は、その社会的承認と自尊心が「架空の自分」にもとづいている者にのみ起こる現象である。つまり、たとえば、無能な人間が自分を有能だと思いたがるとき、あるいは、卑劣漢が自分を道徳的だと思いたがるとき、その落差をごまかす支えとなるのが、自己嫌悪である。

 

 

ものぐさ精神分析 (中公文庫)

ものぐさ精神分析 (中公文庫)

 

 

「ダメな自分」と「本当の自分」という2つの人格をつくり、「ダメな自分」は「本当の自分」ではないから、私には関係ない。「本当の私」はこんなはずじゃないんだけど、たまたま「ダメな自分」が出てきてしまった。なんで「ダメな自分」の方が出てきちゃったんだろう、「本当の自分」はこんなはずじゃないのに、と架空の人格を作って責任逃れをして、甘える。これが自己嫌悪だ。

 

でも、紛れもなく、「ダメな自分」は「本当の自分」であり、それを直視することでしか、本当に変わることは不可能だ。

理想の「本当の自分」なんて、ただの想像の産物にすぎなくて、見つめるべきは、今そうやって自己嫌悪して甘えようとしている「ダメな自分」の方なのだ。

 

もし本当に「ああ、自分ってダメだなあ」と思うのだったら、それも「自分」なんだ、とまずは腹をくくって認めるしかない。

そして、その「ダメな自分」からスタートするしかないのだ。

ほんのちょっとずつしか進めないかもしれないし、またすぐ元の位置に戻ってきてしまうかもしれない。

しかし、スタート地点をまずはちゃんと設定することが全ての始まりなのだ。

そして、「理想の自分」という目標を設定し、それがいまはあくまでも「理想」であって、現実の自分ではないのだということを忘れずに、その理想像に向かって進んでいくしかない。

 

理想は理想で、本当に到達できるかどうかはわからない。

しかし、方向性を与えるという意味では必ずうまく作用するはずだ。

「こっちの方向でいいのか?」と問う時に、理想像があれば迷うことはない。

一つずつ、少しずつ、戻ったり立ち止まったりでも構わず、とにかく進む。

そして、実際に進んでいるかどうか、よりも、そうやって進もうと決意し、どれだけ小さなことでも、実際に一つ一つ真剣に立ち向かい、格闘する、ということの方が大事なことだと思う。

 

 

もし、自己嫌悪に陥りそうになった時は、「ああ、自分ってダメだなあ、また失敗した」と素直に認めてしまって、そこからスタートするしかない。

 

最近、また自己嫌悪に陥りそうになった出来事があって、書かずにいられなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。