ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

「カッコつけ」るのは、もうやめにしたい。

僕は、たぶん人一倍「カッコつけ」だ。

 

「カッコつけ」るのが、究極にダサいことだと、わかってはいるのに、

いざ、人前にでると「カッコつけ」てしまうのはなぜなんだろうか?

 

例えば、「みんなで変顔して写真を撮ろう」というノリになったら、

たぶん僕は「無難な」変顔しかできないのである。

完全なかっこつけ。

「変顔しても、写真写りがいい」ということを見せびらかしたいのか。

 

頭もそんなに出来のいいほうじゃないのに、

かっこつけて「頭がよさそう」な雰囲気を出す。

ウンウン考えているように見せかけて、実際は何も考えていない、という事が多々ある。腕組みなんかしちゃったりして、完全にクソダサい。

 

ここまで書いてきて、自分で自分がいかにクソダサいのかが客観視できてくる。

おそらく、これを身近な人に読んでもらったら「うん、本当にその通り。よく自己分析できてるね」という答えが返ってくるだろう。

恥ずかしいけれど、これが現実だ。

たった二つの例をもちだしただけでも、このクソダサさ。

日頃、これ以上のことを無意識にやってしまっているのを考えると、ゾッとする。

 

自分で自分が「カッコつけ」だ、と客観視することほど、辛い作業はない。

誰かに「アイツ、カッコつけてるよな」と指摘されれば、超絶落ち込むし恥ずかしくなるだろう。

それを自分でやっちゃう。

なぜ、こんな事をやろうと思ったのか?ドMか?

それは、まず自分で「カッコつけ」ていることを認めることからでしか、

「カッコつけ」から抜け出せないのでは?と思ったから。

 

さらにそれをアナログの日記帳とかでなく、

全世界に公開されているブログでやっている。

顔が見えないから、まだダメージが大きいとは言えないけれど、

「私はカッコつけ人間です」と公表することで、

自分の「カッコつけ」に自覚的になり、「脱・カッコつけ」につながるのではないか、と考えたためだ。

 

 

ところで、

本当にカッコいい人は、なんでカッコいいのだろう?

ただ「カッコつけ」てるだけの人と、本当に「カッコいい」人の違いはなんなのだろう?

 

カッコつける、ということは、

少なくとも「カッコいい」人になりたいとは思っていることだ。

その道筋を誤るから、ただの「カッコつけ」になってしまう。

 

というより、

「カッコつけ」と「カッコいい」は正反対なのではないか?

そもそもスタートの時点で、みている方向が真逆なのだ。

 

「カッコいい」人は、ありのままの自分で勝負しているのに対し、

「カッコつけ」の人は、自分を「カッコよく」みせようとゴマカすからだ。

 

「カッコつけ」るのは、本来の自分が「カッコよくない」と薄々感づいてしまっているから。

自分でその現実を受け入れたくないために、「カッコつけ」という安易な手段に走ってしまう。

 

「カッコいい」人はたいてい「昔はぜんぜんカッコよくなかった」エピソードがある。

「ただのダサい人」であることを素直に認めて、そこから始めたからこそ、「カッコいい」人になれたのではないか?

もちろん、天性でカッコいい人というのは悔しいけれど、いる。

容姿はもちろん、中身までカッコいいやつ。クラスに一人くらいは居たはず。

 

そういう人に憧れて、手っ取り早くカッコよくなろうとするから、「カッコつけ」が始まるのである。

 

まずは「ぜんぜんカッコよくない、クソダサい自分」を認めることから始める必要がある。

そのために、「競争社会」というのは便利なシステムだったのかもしれない。

上には上がいる、とまざまざと見せつけられる環境ならば、いかに自分がダメかを自己認識する機会が多くなるから。

そうしてダメな自分をちゃんと直視できれば、自分を飾る、「カッコつけ」に走ることはないはずだ。

なぜなら、もう心の底からダメな自分を直視しているので「カッコつけ」ていることにすぐ気付いて、気持ち悪くてすぐやめることができるから。

「おいおい、そんなにカッコつけたところで、お前の実力はクソじゃないか」と自分ではっきり分かっていれば、「カッコつけ」ることもなくなる。

 

挫折する経験というのは、こういう「ダメな自分を認めざるをえない状況」のことだ。

挫折したとき、人は「カッコつけ」の呪縛から逃れるきっかけを与えられる。

挫折して、自分の実力をまざまざと突き付けられたのに、それでも「カッコつけ」ようとすれば、悲惨な結果になることは火を見るより明らかである。

 

このことから、挫折や失敗は早ければ早いほどいい、ということもわかる。

本当の実力は大したもんじゃないのに、運良く?悪く?成功してしまったら、自分の本来の実力を知ることなく、「カッコつけ」の道に踏み込んでしまうからだ。

若いうちこそ失敗しておけ、という先人の言葉にはこういった意味も込められていたのではないか。

 

「カッコつけ」を捨て去り、本当に「カッコいい」人間になるために、

まずは自分の本当の姿を直視することからはじめなければならない。

 

写真と鏡では、自分の顔が違う、という経験をしたことはないだろうか?

本当の姿は、写真の方だ。いくら鏡の自分を見慣れていても、普段の自分は、そういう写真の顔をしているのだ。

自分の声を録音したものから聴くと違和感がないだろうか?

これも、本当の姿は録音したほうの声だ。その違和感を抱く声こそ本当の自分の声だ。

 

ここから始めなければならない。現実を直視することから。

「お前は、まったくカッコ悪い」と自分で認めることからでしか

「カッコいい」人間にはなれない。

 

 

ところで、

こんな文章を書いている今の自分は、カッコつけているのだろうか。

「なんか良いこといってる!」と自分で自分に酔いしれていないだろうか。

 

「ああ、クソダサい。」

 

と言うことで、

「クソダサい、と認める自分、カッコいい。」

みたいな感じになっていないか?

 

ああ、いずれにしてもクソダサい!まずはそれを認めなくちゃならない。

クソダサいことを認めることは、やっぱりクソダサいし、

こんなブログを公開しちゃうことも、クソダサい。

 

未来の自分がこれを見たら、クソダサすぎて、寒気がするんじゃないだろうか。

 

それでも、「カッコつけ」を捨てたいので、書く。

 

 

まとまらないけど、今回はここまで。

 

(後日、こんな記事も書きました。)

 

kazfumi.hatenablog.com