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はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

過去の自分はもうこの世にはいない。

ときどき、思い出したくないことを思い出して「うあああ〜〜〜」と声を出したくなる経験はないだろうか?

 

「なんで、あの時、あんな事しちゃったんだろう。」

「なんで、あの時、あんな事言っちゃったんだろう。」

「なんで、あっちの方を選択しなかったんだろう。」

「なんで、あんなウザい事しちゃったんだろう。」

「なんで・・・」

 

ところが、そういう事をした自分は、もうこの世には存在しないのだ。

自分だけではない。

世界そのものが、もうその時の世界ではなくなっている。

 

あるのは現在の自分であり、世界である。

 

過去はどれだけ悔やんでも、もう1ミリも変更不可能だ。

 

そうとはわかっていても、人はなんども過去を思い出す。

それが理不尽な事であればあるほど、

どうしても思い出してしまうだろう。

「普通に考えて、その選択はないだろ。。」

という事をやっちゃっていた場合とか。

 

理想をいえば、

すべての選択を一切の悔いなく、最善の選択をすることだろう。

しかし、最善、というものが厄介で、

それは後になってわかる事の方が多い。

考えて考えて、最善だ、と信じた道であっても、結局は間違いという事がある。

 

その時は最善だと判断したくせに、後になって「やっぱりああすべきだった」

と悔やむのである。

 

自分の事だけで済めば、まだ傷は浅い。

それが誰かを傷つける発言をするなど、加害者になってしまった場合や、何かを壊してしまった場合など、自分以外のことに悪影響を及ぼしてしまった時の方が、後悔も大きくなる。

「あの時、ああしていれば。。」

という後悔。

 

しかし、タイトルの通り、もうその選択をした自分はこの世にいないのだ。

いるのは常に現在の自分なのだ。

今、こうしてこの記事を書いている自分も、1分後には、存在しない。

1分後と言わず、もう次の瞬間にいない。

常に、新しい現在の自分が現れて、そしてまた消えて、また現れ、というのを繰り返している。

 

僕の大好きな芸術家、岡本太郎はこのことを次のように表した。

 

瞬間、瞬間に生きる。

 

本当にそれだけしか、できないのだ。

 

そうだとすれば、

その瞬間、瞬間の自分の選択を、全力で選ぶしかできない。

たとえ、間違っていたとしても、

その時、真剣に考えたのなら、それでいい。

なぜなら、結果は間違っていたかもしれないが、

その選択をした自分の真剣度合いは、ホンモノのはずだから。

 

多くの後悔は、あやふやに選択してしまったことから起こっているとは言えないだろうか。

精一杯考えに考えた末の決断であれば、案外、スッキリと納得いくのではないか。

 

つまり、過去を思い出して「うあああ〜〜」という癖がある人は、

瞬間瞬間に生きているのか、を自問した方がいいかもしれない。