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はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

自己肯定感は大事だが、無理矢理ひねりだすものではない。

無理やり、自己肯定感を出そうとする人がいる。

それを見せつけられる側は、

 

無性に腹がたつ。

 

自分でも、ヤバイということを薄々自覚しているのに、

自己暗示のように「私はデキる、私はデキる私はデキる・・・」「私はカワイイ、私はカワイイ私はカワイイ・・・」

とやっている人は、

何かから必死に逃げているだけの印象を受ける。

そして、

「ねえ、私はちゃんとイケてるでしょ?」

と、赤の他人にまで、確認を求めてくる。

 

知らねえよ、そんなもん

 

そして、何かのきっかけ、本当に些細なことで、

その薄っぺらい自己肯定感をボコボコに潰されて、

 

「ああ、やっぱり私はダメだった・・・」

 

と勝手に落ち込むのだ。

 

偉そうに、こうやって書いている僕自身が、おそらくそういうウザい人間だった。

「だった」と過去形にしているが、今でもそういうのは残っていると思う。

現在進行形でそういう自分と必死に格闘中である。

 

ここ何日かずっと書いていることだが、

そういう面倒臭い人たちがまずやらなければならないことは、

「カッコつけ」るのをやめることだ。

そして、「クソダサい」自分をちゃんと腹くくって見つめることだ。

 

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

笑っちゃうほど、「クソダサい」自分が見えてくるだろう。

「ああ、俺、本当にクソダセーー」

と。

 

そこからしか、本当のスタートはないのだ。

 

もちろん、目標や、理想像を持つことは大切だ。

しかし、現実の自分をしっかり見つめることも必要だ。

理想と現実のギャップをまざまざと見せつけられた時、人は初めて努力できる。

「あ、このままじゃ、マジでヤバイな」

と。

 

まやかしの自己肯定感など、蹴っ飛ばせ。

薄っぺらい自己肯定感など、他人には筒抜けだし、無性に腹を立てさせるだけだ。

 

まずは、現実を直視しなくてはならない。

 

そして、不思議なことに、

「クソダサい」自分を直視して、笑っちゃった方が、

自然と自己肯定感も出てくるものだ。

それはちゃんと地に足が着いた感覚になるから。

 

ニーチェも言っている。

 

『高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ。高い所へは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない。』

 

と。

この「他人」には、文字通りの他人だけではなく、薄っぺらい自己肯定感などの「本当に自分のものになっていない」ことも含まれると解釈している。

 

ちゃんと、自分の脚で一歩ずつ登っていかなくてはならない。

無理やりひねり出した自己肯定感は、脚をヘナヘナにさせるだけだ。

 

自戒の念をこめて、筆をおく。