ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

卒業論文で得られるもの ⑨読書力

このシリーズは完結したはずだったのだが、やはりまだ追加する余地がありそうなので、再開。

 

まず、「読書力」とはそもそもなんなのか、について僕なりの定義を示しておく。

読書力は、いくつかの要素に分解できる。

  1. 通読力
  2. 選書力
  3. 情報連結力
  4. 複眼的思考力

これらを総合したものを「読書力」とする。

さらに要素ごとの内容を以下で述べていく。

 

通読力

まず、「1.通読力」について。

 

そもそも、本を読む習慣があるかないか、で人間は大きな差が生じてしまう。

本を読まない人間は、それだけで、大変なハンディキャップを背負っているといえる。このことはすでに散々述べられてきている。

日本ではそうしたハンデを背負った人が半数近くも存在するらしい。

 

「1冊も本を読まない」…47・5% 文化庁調査で「読書離れくっきり」(1/4ページ) - 産経ニュース

(2014年のデータだが、そこまで急激な変化は起きていないだろう)

 

つまり、本を読む、というだけで、残りの半分の層に行けるわけだ。

もちろん、本を全く読まない人でも尊敬に値する人はいるだろう。

だからといって、本を読まない理由にはならない。

本を読まないのは、砂漠で遭難中にサボテンを目にして

「サボテンは水がなくても生きられるのだから・・・」と目の前に泉があるのに飲まないのと同じだ。

 

卒業論文では、当然のごとく参考文献を読むことを要求される。

大学に入って、本を全く読んでこなかった人であっても、卒論だけは、本を読むことを回避できない。(レポートやゼミの課題、試験対策などで、ほとんどの人はなんらかの本を読んではいるだろうが)

 

しかも、参考文献は学術的に「まとも」なものでなければ、通用しない。

ということは、古典的なものや、専門的なものとなり、「読みづらい」ものが中心となる。読みづらくても、論点を整理しなくてはならないので通読する必要がある。

 

そのために「本嫌い」になる人もいるのだろうが、それは「強制的」な感覚で卒論をしている場合だろう。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

こうした「読みづらい」ものを読んでいると、次第に活字に慣れてくる。

難解な本、大量の活字を目の前にしても、ビビらなくなるのだ。

この時点で、先述した「日本人の半数」のさらに上位層にいることになるだろう。

これが、1つ目の「通読力」の内容だ。

 

選書力

次に「2.選書力」について

現在、日本国内では年間で約8万冊(全国出版統計より)もの単行本が出版されている。

仮に1日に1冊としても、全部読むのに200年以上かかる。それが2年、3年となっていけば、400年、600年と増えていく。

どう考えても、この膨大な量の本の中から、「選書」しなくてはならない。

80対20の法則で知られるパレートの法則パレートの法則 - Wikipedia)によれば、このうち80%はクズ本である。

社会学的な調査に用いる場合を除いて、こうした本は読む必要はない。

というか、積極的に避けるべきだ。

 

では、どうすればクズ本を避けて、「まとも」な本を選ぶことができるのか?

 

「まとも」な本であるかどうか、は「信用性があるかどうか」でわかる。

信用性は

  • 著者の経歴
  • 引用文献の有無
  • 発行年や増刷数(多いほど信用度が上がる)
  • まえがきやあとがき(ここに著者の思考のエッセンスが出る)

で判断できるだろう。

 

しかし、もっと手っ取り早い方法がある。

それは、「参考文献の参考文献」を遡って読むという方法だ。

そもそも卒論では「孫引き」は厳禁なので、こうした遡りをせざるをえない。

 

参考文献に挙げられる、ということはそれだけで「信用性」がある証拠であり、また「参考」なだけあって、あるテーマに関してまとめて読むことができる。

同じ理屈で、尊敬する人に「オススメ本」を聞いたり、新聞の書評欄をみたり人気ブログの書評をみるのもいいと思う。

 

こうして、ある程度「まとも」な本に接する機会を増やすことで、「まとも」な本を見抜く「選書力」が身についていく。

 

さらに、この力は、本だけでなく「情報一般」においても力を発揮する。

例えばインターネット上の情報。

インターネットは本以上に情報が氾濫し、ゴミ情報もそれだけ多い。

なにが「まとも」な情報なのか、見分ける力がついてくる。

「根拠があいまいだな・・・」

とか

「確かに正しいけど、単眼的じゃないかな・・・」(単眼的の話は後でのべる)

といったことを感じ取れるようになる。

 

そういった感覚、いわば「情報フィルター」を身につけるには、

やはり本を選ぶということで身につけるのが間違いないと思う。

そして卒論はそのいいトレーニングとなる。

 

ここでは「読書力」を軸に考えているので「選書力」と名付けたが、

より広く一般には「情報選択力」となる。 

この話は以前にも似たことを書いていたので、リンクを貼っておく。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

情報連結力

つづいて「3.情報連結力」について。

卒論では、ある一つのテーマを軸にしているため、参考文献を読むときにもこの軸を意識することになる。

この軸を介して、本と本の間に関連性が生まれるのだ。

「あ、このことはあの本でも述べられていたな」

とか

「このことは、あの本では反対の立場だったな」

とか。

 

そもそも、人間の脳の仕組みとして、「情報」と「情報」の間につながりを見出すことで活性化するようになっている。

このことは、前から紹介している「イシューからはじめよ」に詳しい。

 

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

 

こうした情報と情報を繋げる力、つまり情報連結力が、

卒論では「テーマ」という軸が与えられることで、鍛えられるのだ。

 

これも以前の記事で似たようなことを書いていた。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

複眼的思考力

最後に「4.複眼的思考力」について。

複眼的思考とは、

ある一つの情報を、別の視点から見つめ直す力のことだ。

 

円柱を真正面からみると長方形に見えるが、真上からみれば円に見える。

 

複眼的に見るとはこういうことで、

つまり、より正確に情報の本質を理解できるのだ。

 

逆に単眼的とは、円柱のことを長方形としか認識できない状態のことだ。

第三者が「円の要素もあるよ」と指摘したところで、

「ハ?何言ってんだ、バカジャナイノ?」という反応しかできないだろう。

 

たくさんの本を読み進めていくと、こうした様々な視点を獲得できる。

「長方形にしか見えないが、確かに理論上は円にも見えるはずだ」

「長方形に見えるのは実は限定された条件のもとでしか起きないのでは?」

と考えることができるようになる。

 

卒論では、さまざまな先行研究の論点を整理した上で、自分の研究と比較し、独自性を示さなければならない。つまり複眼的思考力が要求される。

 

複眼的思考については、以下の本が素晴らしい。

 

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

 

 

複眼的思考は、論理的思考だけでは足りない部分を補うことができる。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

 

以上の4つの要素は、それぞれ独立したスキルとして考えることもできる。今回は4つを「読書力」という1つのスキルとして統合してみた。

 

その「読書力」の習得には卒論がいいトレーニングとなる。