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はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

「めんどうくさい」の構造分析

 

生きていく上で、「めんどうくさい」こととどう折り合いをつけるかは、重要な課題となる。

そんな大げさなことでなくとも、普段の仕事、課題でも「めんどうくさい」こととどう折り合いをつけるか、が重要である。

 

ここでは、

そもそも、どういう時に「めんどうくさい」と感じるのか?

なぜ「めんどうくさい」と感じるのか?

どうすれば「めんどうくさい」を乗り越えられるのか?

を考えてみたい。

 

 「めんどうくさい」とは?

辞書を引くと、

[形][文]めんだうくさ・し[ク]たいそう面倒である。いかにも面倒に感じられる。わずらわしい。めんどくさい。「遠いので行くのが―・い」「―・い仕事」

とある。

では、面倒は何か?

また辞書をひくと、

手間がかかったり、解決が容易でなかったりして、わずらわしいこと。また、そのさま。「面倒な手続き」「面倒なことにならなければよいが」「断るのも面倒だ」「面倒を起こす」

世話。「この子の面倒をお願いします」
体裁がわるいこと。見苦しいこと。また、そのさま。

(出典:デジタル大辞泉

とある。

特に1の意味が重要だ。

 

”手間がかかり、解決が容易でないこと”

 

つまり「めんどうくさい」とは、

  1. 構造が複雑
  2. 工程数が多い
  3. 時間がかかる

という性質の問題に直面したときに起こる感情であると考えられる。

 

1. 構造が複雑

我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトの『方法序説』は哲学書であると同時に、問題解決のノウハウを解説した本でもある。

超天才の数学者、哲学者だったデカルトの思考法を知ることができる本で、薄くて読みやすいし、現代人必読の書の一つである。

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

その中で、問題解決するための方法として、

検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること

が挙げられている。

 

問題を解決するためには、いきなりとりかかるのではなく、

どう分割できるか?

を考えるところから始めるのだ。

 

「めんどうくさい」という感情は、

この分割の作業が容易でない時に起こると考えられる。

f:id:kazfumi:20170130115706j:plain

この画像のように、

「一体どうなっているんだ??」

とすぐにはわからないような時である。

全体像はボンヤリ分かっているけど、その構造がわからない時。

どうやって分割すればいいのか、サッパリわからない時。

つまり構造が複雑な問題に突き当たると、簡単に分割できないので人は「めんどうくさい」と感じるのだ。

 

2. 工程数が多い

なんとか問題の構造を分析し、小さな要素に分割できたとしても、その要素があまりに多いと人は「めんどうくさい」と感じる。

「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」という状態である。

また小さな要素に分割すると、ひとつひとつの要素を解決しても、なかなか前に進んでいる感じがしない。

これらの要素を一気に飛ばしてしまうような方法を見つければ、それはそれ自体が一つの立派な仕事になるだろう。

 

3. 時間がかかる

2の内容と関連するが、時間がかかることも、「めんどうくさい」と感じる要因のひとつだ。

問題を細かく分割していき、その要素が多くなればなるほど、かかる時間も増える。

もしくは、工程数は少なくても、ひとつの要素を解決するのにどうしても時間をかけなければならない場合もある。

例えば「1メートル四方の紙を普通の鉛筆だけで黒く塗りつぶしなさい。」

という課題が与えられた時、工程はただひとつ、「鉛筆で線を引く」だけだが、

どう考えてもかなりの時間がかかるだろう。

時間がかかる、ということは結果がすぐには出ない、ということだ。

 

めんどうくさいを乗り越えるには?

以上説明してきたように、「めんどうくさい」は

  1. 構造が複雑
  2. 工程数が多い
  3. 時間がかかる

ときに起こる感情であると考えられる。

「めんどうくさい」を乗り越えるとは、これら3つの壁を乗り越えること、と言い換えることができる。

 

「構造が複雑」を乗り越える

構造が複雑なとき、まずやるべきことは観察である。

どこがどうなっているのか?を注意深く観察することだ。

観察していくと、特定のパターンが見えてきたり、特徴的な動きやいびつな箇所が見えて来る。

このポイントが問題の分割をするときのヒントになる。

頭の良い人、天才、と呼ばれる人たちはみんなこの観察の力がすぐれている。

その代表的な例としてイメージしやすいのはシャーロック・ホームズだろう。

普通の人が見逃すポイントを瞬時に見分けることができる。

 

観察力があるということは、問題を分割する際のポイントを見極めることができるということだ。

分割するポイントを誤ると、工程数を無駄に増やすだけに終わる可能性が高い。

分割するべきなのは決定的に質が異なるポイントだ。

そのポイントを見つけるためには観察力が必要なのである。

 

「工程数が多い」を乗り越える

問題を観察して、意味のあるポイントで分割できたら、次に現れるのがこの壁だ。

いくつもの要素がでてきて、

「あれもこれもやらなければ!」という状態になりがちである。

ここで大切なのも、また観察である。

要素間のつながりを注意深く見つめると、密接に関連するものとそうでないものが分けられるだろう。

そして関連度が深いもの同士でグループを作るのだ。

グルーピングができたら次は、それを適切な順序に並べ替える。

「こうでこうで、こう」というストーリーをうまく構成しなおすのだ。

「この問題を解決すると、次にこの問題も解決できる」という見取り図を作成するのである。

この作業をすることで、ただ闇雲にひとつひとつの要素をつぶすよりも、

頭の中で「なんのために?」という問いに答えながら進められるので効率が良くなる。

 

「時間がかかる」を乗り越える

第一の壁と第二の壁を乗り越えるだけで、すでに大幅な時間短縮が可能になっているはずである。

あとは、もうやるだけしかない。

やっていくうちに、より効率の良い方法が見つかるかもしれないし、全く別のアプローチを取ることになるかもしれない。

しかし、それはやらなければわからないことだ。

 

「とにかく、やれ」という根性論みたいになってしまうが、

脳機能的に、やり始めたらやる気がでる、という構造になっているらしい。

ちょっと机の上を片付けるつもりが、部屋中の大掃除に展開していた、というのもこの機能によるものだ。

 

また、記録をつけるというのも良い方法だ。

小さな進歩でも記録をつけることで、どれだけ進んだかを可視化することができ、進んでいることを実感しやすくなる。

 

最後に

世の中で偉大な仕事と呼ばれるものは、皆この「めんどうくさい」作業を乗り越えた結果である。

NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」宮崎駿監督の回で、

「ああ、めんどくさい、めんどくさい」といいながらも机に向かう宮崎駿監督の姿が印象的だった。

サグラダファミリアに人が感動するのも、もちろんその壮大さ、造形力もあるだろうが、背後に感じられるこの「めんどうくささ」があるからだろう。

細かな彫刻なども、その繊細さと同時に「うわーよくこんなめんどうくさいことやったな!」という感動もあるのではないか。

いま話題の「君の名は。」も超細かい描写が丁寧に作りこまれた結果、圧倒的な完成度を生み出した。そこにあるのも地道で途方もない「めんどうくさい」作業である。

 

「めんどうくさい」地道な作業が積み重なると、人は素直に感動する。

なぜなら、そこに「かけられた時間」「工程数」を感じるからだ。

生産性が叫ばれる昨今であるが、やはり、時間をかけることでしか得られないものもあるだろう。

そもそも「面倒見のいい先輩」という言葉もあるように、

「めんどうくさい」からこそ、愛着がわくこともある。

長く丁寧に手入れされたモノに「コイツはオレの相棒」みたいに思うのも、「めんどうくさい」ことを乗り越えた結果なのだ。

「めんどうくさい」ものであればあるほど、簡単には再現できないので、愛着がわくのだろう。

 

つまり、「めんどうくさい」ものを乗り越えたならば、自ずと価値も生まれるはずである。

 

我が子に愛情がわくのも、子育てという「めんどうくさい」ことを乗り越えたからだ。

夫婦間で愛情がわくのも喧嘩、衝突という「めんどうくさい」ことを乗り越えたからだ。

後輩に愛情がわくのも指導、教育という「めんどうくさい」ことを乗り越えたからだ。

 

逆に、そうした「めんどうくさい」ことから逃げ続けると、インスタントな関係になって、場合によっては悲惨な結果をもたらすかもしれない。

 

「めんどうくさい」と感じた時は、それを乗り越えたら何が残るだろうか?と考えてみると、やる気が出るかもしれない。