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はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

批判を恐れるな、みたいな風潮について思うこと。

スティーブジョブズとか、岡本太郎とか、白洲次郎とか、

カッコ良い人たちは皆、「自分の信念を貫け!批判を恐れるな!」

みたいなことを言っている。

確かにめちゃくちゃカッコいいし、実際に批判を恐れずに信念を貫いたからこそ、偉大で、歴史に名を残したのだ。

 

近年も、アドラー心理学の『嫌われる勇気』が大ブームとなるなど、

「批判を恐れるな!」というメッセージに共感が集まりつつある。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

しかしである。

 

そもそも「批判を恐れる」ぐらいの主張であれば、してはならないのではないか?

「批判を恐れる」ぐらいの信念は、信念と呼べないのではないか?

 

「偉人たちはみんな「批判を恐れるな!」と言っているし、

私自身正直不安な部分もあるけど、恐れてちゃダメだ、思い切って主張しちゃおう!」

 

みたいなスタンスで、

「無理やり」批判を恐れない私、を演出しようみたいな風潮になっていはしまいか?

 

「批判を恐れるな!」というメッセージは、

その前に

「どれだけ批判されても、それでも揺るがない自信があるなら、」

という言葉が隠れているのではないか。

 

どれだけ批判されても、それでも「コレがいい!」と押し通せるのか?

論理的には全く正しくて、もっともな批判をされたとしても、

それでも「やっぱりコレがいい!」と言えるのか?

 

このポイントがクリアできてはじめて、

「批判を恐れるな!」

というメッセージは力を持つ。

 

それがクリアできていないのに、

「批判を恐れるな!」というメッセージの表面だけ受け取って、

「とりあえず主張しなきゃ!批判を恐れてちゃ何も進まない!」

みたいに、本当は自分ですらちょっと疑わしい状態で主張したところで、

論破されて、速攻終わりである。

「あ、たしかに、はい、わたしやっぱり間違ってました」と。

それで挙句は

「でもわたしは批判を恐れずに主張できたんだから、エラい!」

とか言い出す。

 

違う違う。

 

どんな批判がされるだろうか?

こういう批判をされたら どう切り返そうか?

なんで私はこの主張をしたいのか?

この主張をすることでどんな事ができるようになるのか?

 

と、まずは自分で十分吟味して、

それでもたしかに、この主張をすることに意味があると判断できた時に限って、

「批判を恐れるな」が意味を持つのだ。

 

たしかに、自分だけの吟味では気づけないポイントもあるかもしれない。

人から批判されて初めて気づくポイントもあるかもしれない。

 

しかし、自分で十分に吟味したならば、

根本的なところはもうしっかりしているはずである。

(もし批判されて根本的なところがグラつくのであれば、吟味が足りなかった証拠だ)

 

根本的な部分は変わらないから、批判されて初めて気づいたポイントというのは、より有意義な主張にするための貴重なアドバイスとなるはずだ。

批判を批判のままで終わらせずに、アドバイスに転換できるのだ。

 

具体例を示す。

岡本太郎は1970年の大阪万博の時に、太陽の塔を創った。

今では、世界遺産に登録しようとする動きもあるぐらい人々に受け入れられている太陽の塔であるが、建設当初は、散々な批判を浴びたらしい。

「まるで牛乳瓶のオバケだ」「日本の恥だ」「国のお金をつかってこんな無意味なものをつくるなんてケシカラン」・・・などなど。

それでも、岡本太郎は批判を恐れず、信念を貫いた。

「人類の進歩と調和」という万博のテーマに対するアンチテーゼとして、

万博会場を睨みつけるような、土から生えてきたような、縄文的な造形物を創った。

その根本にあったのは、

「人類の進歩と調和」は馴れ合いやゴマスリ、遠慮をしつつ、なあなあでうまく調和しましょうというのではなく、徹底的にぶつかり合い、己をごまかさずに主張し合うことで成し遂げられる、という「対極主義」であり、

そのためには最新技術を駆使して文字通り「進歩と調和」を具現するような万博会場全体の中で、唯一、反発する存在として、縄文的な太陽の塔がシンボルタワーとして必要だ、という主張だった。

 

だから彼にしてみれば「無意味だ」とか「牛乳瓶のオバケだ」といった批判は、全く当然のものだった。なぜならわざわざ「無意味」に、「オバケ」のような縄文的なものをつくったのだから。批判というより、そのまま太陽の塔の解説なのだ。

(実際は本当に無意味なのではなく、内部は展覧会場としても機能していた)

 

「批判を恐れるな」というメッセージには大いに同意する。

しかし、それを表面的に切り取ってしまって、批判を恐れないことそれ自体が目的になってしまっては本末転倒だよな、と

自戒の念も込めて、書いてみた。