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はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

アマチュア精神を捨てたプロはプロではない。

プロとアマチュアの違いは何なのか。

「プロは、対価としてお金をもらう点で、アマチュアと異なる。」

これは確かに正しい。

 

「お金」をもらうかどうか

プロはお金という対価をもらう以上、

今日は気分が乗らないから・・・」とか

今日は電車が遅れて・・・」とか

今日は体調が優れなくて・・・

などの言い訳は一切通用しない。

言い訳をした時点で、プロにとって最も大切な

「信頼」「信用」を失ってしまう。

 

お金は「この人なら信用できる」「この人に任せたい」という「信用」や「信頼」から生まれる。 

 

つまり、プロはお金ではなくて、「信頼」や「信用」を得ているのだ。

言い訳は、それを手放す行為だ。

 

アマチュアは、自分が楽しければそれで良いというスタンスであり、

「信用」とか「信頼」などはなくていい。

気分が乗らなかったらやらなくてもいいし、

天気が悪ければ中止したっていい。

「純粋に楽しめるかどうか」だけがアマチュアの条件だ。

逆に、自分が純粋に楽しめないのであれば、アマチュア失格

さっさと別の分野に移るべきだ。

 

上記のように、プロとアマチュアの違いは

「お金」つまり「信用」や「信頼」を得るかどうか、の違いだ。

 

プロはアマチュアの延長上にいる

しかし、そうは言ってもプロとアマチュアは全く別の存在ではなく、

アマチュアの延長上にプロがいるというところで密接につながっている。

 

つまり、根本はどちらも同じ点から発しているのだ。

それは「自分が純粋に楽しむ」という点だ。

これを失ってしまった時点で、アマチュアはもちろんのこと、

プロも失格になるのだ。

 

確かに、プロにとっては「信頼」や「信用」が最も大切な資源であり、

そのためには多少嫌なことや、面倒なこと、ストレスやリスクなども背負わなければならない場面もあるだろう。

しかしやはり、根本には「自分が純粋に楽しむ」という点があるはずだ。

それが一切ないのに、プロと名乗るのは、もはや詐欺だ。

なぜなら、「自分が純粋に楽しめない」ものを人様に売りつけるわけだから。

 

詐欺はなぜ詐欺になるのか、というと、

「自分が純粋に楽しむ」部分である「金儲け」「利益」という側面を隠して、

ビジネスや慈善事業という皮をかぶるから。

だいたい、そういう自分の利得だけが本音にあるのに、綺麗なことしか言わない場合は「胡散臭い」オーラが出てしまうので、いわゆるカモしかひっかからない。

カモはその点で鈍感な人のことをいうのだ。

 

優良企業、起業家ほど、「自分が純粋に楽しむ」という部分を大切にする。そこから全てをスタートさせている。

「ミッション・ステートメント」「社是」「社訓」がまさにそれだ。

「お金儲け」や「利益」ももちろん重視するが、それはあくまでも「自分が純粋に楽しむ」ことのために、である。利益そのものを追求するわけではない。

 

なぜ「自分だけ楽しむ」快適な環境を捨てるのか?

ところで、アマチュアであれば「自分が楽しければそれでいい」という快適な環境を保てる。「自分の純粋に楽しいこと」に専念するのにはこれ以上ない環境だ。

なぜ、その快適な環境を捨てて、プロの道へ行くのか?

 

それはやはり、「自分が純粋に楽しむ」を追求するためには、

他者の存在が必要不可欠と気づくからではないか?

 

オタクの人たちを考えるとわかりやすい。

彼らは多分、最初は純粋に自分が好きで楽しいから「何か」を始めるわけだが、純粋に自分が楽しいことを追求していった結果、人と情報交換をしたほうが楽しいということに気づいて、人と交流するようになる。良い情報を仕入れるためには、対価として自分も良い情報を提供する必要がでてくる。そして各地で濃いオタクワールドが広がっていき、それはビジネスに発展していく。

Appleの「Mac」など、まさにそうやって誕生したものだ。

 

つまり、自分がもっと楽しむためには、人にもその楽しさを分ける必要がでてくる、と気づいた時にプロになるのではないか?

 

また、人にも楽しさを分けるためには、わかりやすく、より魅力的に、楽しさを伝える必要がでてくるので、自分の技術をあげなければならない。

技術があがれば、より、自分が楽しくなる。人にも楽しさを分けることができる。

 

プロスポーツ選手は、人にカッコいいプレイを見せることでお金を得ているが、

カッコいいプレイをすることで、なによりも自分自身が一番楽しんでいる。

・プロイラストレーターはうまい絵を描くことでお金を得ているが、

うまい絵を描けるようになることでなによりも自分自身が一番楽しんでいる。

  

アマチュアのプロ

確かに、プロになることなどどうでもよくて、

本当に自分だけが純粋に楽しむことだけを追求する、「アマチュアのプロ」みたいな人もいる。

学者とか芸術家はこのタイプだと思われる。

そういう人は、いずれ誰かが勝手に宣伝して、勝手にプロとして認められてしまう。生涯、そういうチャンスがなくても、死後見つかるかもしれない。

というか、「いつかとりあげてくれないかな〜?」というスケベ心があるのなら、

「自分が純粋に楽しむことだけ追求する」という点に反するので「アマチュアのプロ」とは言えない。

さっさと、「取り上げてほしい」という点を認めて、売り込む作業に移るべきだ。

また、「アマチュアのプロ」も、やはり自分だけが楽しむよりも、同じ分野の人たちと情報交換をしたり、影響を受けた方が楽しいはずなので、(学会とかはそれだ)やはり「自分だけが楽しむ」を追求した先には「人も楽しむ」がありそうだ。

 

結論

プロは確かに、「信用」「信頼」がなによりの資源なので、

時にはしんどい思いをして、リスクやストレスも背負わなければならない。

また、「プロ」という自覚があるために、適当に済ますことも許されない。

 

しかし、「自分が純粋に楽しむ」を忘れてしまっては、

つまり「アマチュア精神」を捨ててしまっては、プロではなくなる。

そもそも「自分が純粋に楽しめない」ものをウリにしようとしたところで、

そんなものに魅力を感じる人がいるだろうか?

 

リスクやストレスも必要だが、自分のキャパシティを超えて背負ってしまえば、

「自分が純粋に楽しむ」を忘れてしまうだろう。

過労死などはその結果引き起こされる。

 

プロはそのキャパシティの大きさで評価が分かれるのかもしれないが、

キャパシティが小さくても、全力でやりきる、という姿勢は共通だろう。

 

・・・ 

以上、まだバイト以外に社会で働いたこともない若造が偉そうな口をたたいたが、

あくまでも、自分の思考を整理するという「純粋に自分の楽しいこと」を追求した結果である。

 

なぜ、それをブログでやるのか?チラシの裏に書いとけばいいのに?

それは、人様の目に見られることを意識して書くことで、

自分の思考もより整理されるからだ。

やはり「自分の純粋に楽しむこと」を追求すると、他者の存在が必要になるのだ。

 

今回はここまで。