読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

理系と文系を分けることの愚かさ。

「世の中には、理系と文系の2種類の人間がいる。」

というのが通説であり、常識だ。

だが、そんなのは馬鹿げていると、僕は思う。

 

本当に勉強しようと思ったら、

理系だろうが、文系だろうが、関係なく、勉強する必要がある。

 

そもそも、理系を理系たらしめているものは何か?

一般的には、「数理的能力に秀でていること」だろう。

しかし、ぼくの思う理系像は違う。

計算が苦手でも、数式が苦手でも、理系的な考え方はできる。

それは、

「事実を元に、仮説をたて、実証する」ということだ。

これは、文系の人が論文を書くときの頭の働きと全く変わらない。

数学の知識がなくても、理系の考え方はできる。

 

逆に、文芸小説など全く読まなくても、文系的な思考はできる。

一般に文系の人間を文系たらしめているのは、

「活字が好きで、歴史や語学などに詳しい」ということだろう。

ぼくの考える文系的思考はこうだ。

「ある事象の背後に隠れている原因を探ること。」

歴史学であれば、その時代背景や政治などを調べることだろうし、

文学的な研究であれば、作者の生い立ちや書簡などから推測することになるだろう。

しかし、これは理系の人が論文を書く際に使う思考と全く同じだ。

何かの現象が生じて、その理由、仕組みは何か?と探ることだ。

ニュートンがリンゴの落下をみて、

「この原因は何か?」と考えて、万有引力を発見したのは、まさしく文系的思考の賜物ではないだろうか。

 

理系も文系も、考え方の根本を突き詰めていけば大して変わらない。

それを、多くは高校2年の進級の時に振り分けてしまう。

それは、「入試」のためだけだ。それ以外の理由は見当たらない。

そんな入試のためだけに勉強をしようとするから、

勉強が全く面白く無くなってしまうし、

 

入試を突破した途端に、必死に覚えた知識もまるで使い物にならないゴミ情報と化してしまう。

 

今の入試は極論、「暗記」の世界だ。

暗記するためには膨大な時間と反復が必要になり、全てをやるのは時間的に無理なので

ある程度科目を限定しなければならない。

だから「理系」「文系」に分けるだけの話だ。

旧帝レベルの国立大の入試であれば、少しはマシだと思うが、

私立大の入試だと、3科目だけで合否が決まったりする。

 

そして、「暗記」なんてただの作業であり、魅力あるものとはいえない。

だから、ほとんどの人は大学に入った後、その記憶を手放して、遊び呆ける。

「やっと暗記から解放された!」と。

本当の学問の奥深さに到達せずに、「単位」とか「成績」だけのための勉強しかしなくなる。

 

そもそも、古代ギリシャの学者達は、「理系」とか「文系」なんて区別をせずに学問をしていたはずだ。

数学者として知られるピタゴラスは、「数」を信仰する宗教の創設者だった。

中世でもその区別は曖昧だった。

デカルトは数学者としても有名だが、哲学者としても有名だ。

 

そして現代でも、本当に立派な業績を残している学者などは、

「理系」とか「文系」などの区別をしないだろう。

 

たとえば「理系」の天才、岡潔と「文系」の天才、小林秀雄の対談など、最高に面白い。

なぜ面白いのか、といえば、お互いがそれぞれの専門領域の本質部分で共通したものを感じ取って対話をしているからだ。数学の話が、文学の話とリンクしたりするのだ。

人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)

 

 

 

逆に、文系的な思想を持たずに理系的な思想だけで走ると、

ろくでもない発明をしたりする。

文系の人も、文系的な思想だけで走ると、狂信的な団体を作ったりする。

理系も文系もどちらも必要な思考、思想なはずだ。

 

純粋に自分の興味の湧くことを追求していった結果、

数学の理論を勉強しなくてはならない、となったら、数学を勉強すればいいし、

歴史を勉強しなくては、となったら、歴史を勉強すればいい。

 

入試制度はこれと真逆のことをやっている。

まず理系と文系でわけて、

その中から興味の湧くものを選択しろ、というのだ。

単純に計算が苦手なだけで理系のことに興味がある人が仕方なく文系に行くことになったり、英語ができないために、本当は歴史に興味がある人が仕方なく得意な数学で理系に進んだり、といった悲劇が起きるのは、なんとも馬鹿げているとおもう。

 

大学に入った後も、「単位」「GPA」のためだけに、興味のない、先生もやる気全然なさそうなクソつまらない授業を受けなければならないのも、馬鹿げている。

そんなことするぐらいなら、自分の好きな先生と1日おしゃべりしている方が絶対いい。もしくは好きな本、興味のある本を読む方が絶対いい。

先生側からしても、意欲ある学生と話す方が、教える喜びも増すだろうし、

絶対そうした方がいいと思うのだが。

 

とはいいつつも、ある程度強制的にやらされて、

初めて面白さに気づく、ということもないわけではないので、

やはり一般教養程度は全員必須の授業として必要だとも思う。

その点、東大の教養課程の制度はいいなあと思う。

その実態は知らないが。

 

僕は、もう大学を卒業するので、

単位など気にすることなく、思う存分、自分の興味の赴くまま勉強できる。

それはたまらなく嬉しいことだ。

 

 

追記

インド映画の『きっとうまくいく』はこのあたりの話がテーマになっていて、めちゃくちゃ面白かった。