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はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

思いつきで行動するのは結構いい。

論理だけでは説明がつかないのが、この世の中だ。

 

すべての学問は、論理的にこの世の仕組みを説明しようとするものだが、

あるところで限界が来る。

その最先端にせまろうというのが、素粒子研究などの物理学だ。

詳しくはまったく専門外なのでわからないが。

 

宗教も、この世の仕組みを説明するために始まった。

「雷が鳴っているのは、神様がなんらかの意思表示をしているのだ」

と、「論理的」な説明をしようとした。

 

考えてみれば、科学も宗教も、「理由づけ」を目的としている点でまったく同じ構造なのだ。

人間は「これこれこういう理由だから」という説明をされると、例え間違った説明であっても妙に納得してしまう生き物だ。

 

「この人生に意味はあるのか?」という問いに、

「これこれこういう理由があって意味がある/ないので頑張れ」

と説明するのが宗教。

 

「この世界はどういう仕組みで始まったのか、動いているのか」という問いに、

「これこれこういう法則が働いている」

と説明するのが科学。

 

だけれども、じゃあその理由の理由はなんでなの?という問いにはとことん歯が立たない。

物理学で、例えば「ビッグバンによって世界が始まったんですよ」という説明がされた時、そこで納得しそうになるのをグッとこらえて「ひねくれ」て考えると、

「じゃあ、そのビッグバンはなぜ起きたの?」となるが、この問いには未だに答えが出せる見込みはないようだ。

 

「なぜ生まれたの?」という問いにも、生物学的な説明をつけることは可能だが、そのそもそもの始まりについてはまったくわからない。

 

突き詰めて考えていくと、論理だけではあるところまでしかいくことができないのだ。

 

さて、本題に移ろう。

思いつきで行動するという話。

 

例えば初対面なのに、「この人ともっと話がしてみたい!」と思って、そのまま呑み明かしてしまうようなこと。

 

一目惚れで何かを買ってしまうこと。

 

なぜだかわからないけど、妙に好きな食べ物。

 

気づいたら、後戻りできないほどに、何かにのめり込んでしまうようなモノ。

 

すべて、論理を超越している。

しかし、論理ではないからこそ、強さがある。

 

この話は以下のリンクでも書いたので、よかったら。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

逆にいってしまうと、

「これこれこういう理由で、やる」

という条件付きの行動というのは、案外もろい。

すぐに崩れてしまう。

代表的なのが

「給料と待遇がいいから就職しました」

というもの。

3年も続けばいい方じゃないか。それ以上続けるとしたら、もう惰性になっている。

運良くその3年ぐらいで魅力に気づくことができれば問題ないが。

あと一見まともそうな、

「この業界でこういう現状を変えたいという思いがあって、この業種を志望します」

的なやつ。

そもそもそれが本音かどうかアヤシイのは置いておき、

もしそういう熱意が本当にあるのだとしても、

じゃあそれが1年ぐらいで達成できちゃったとしたら、どうするのだろうか?

まあ、定年まで勤めるというシステムがもう崩壊しているも同然の現代で、

そういう分かりやすい理由をもって働き、達成できたらまた別の業界にいく、というのもアリかもしれない。大アリ。

 

そうではなく、

「なんか知らないけど、ムショーにこの会社で働きたいんです!特に理由はない!」

みたいなやつは意外と強かったりする。

あと

「なになにサンがめちゃくちゃ好きなんです!惚れてしまって。だから一緒に働きたいんです!」みたいのも強い。

「惚れている」という理由づけをしているけれど、その「惚れている」理由は論理ではないはずだからだ。

前述した「この業種のこういう問題を解決したいという熱い想いがあって、志望しました」というのも、その「熱い想い」が論理を超えていれば強い。

面接官ウケするのも、その論理を超えた部分なのだと思う。

 

あと、生活が切羽詰まっている人も強い。

「ああだこうだ言っている前に、働け!」となって、理由はあとからになるから。

もちろん、それがQOL的にも生産性の観点からも良い事なのかは疑問だけれど。

 

 

と、まあグダグダ書いてしまったが、

ようは「論理」で行動の理由づけをするのは意外と脆くて、

それよりも、「思いつき」のような、論理を超えちゃっている行動の方が強いんじゃないか、ということ。

それに、論理を超えるということは、自分の本心に直接響いているモノであるはずであり、それが生きがいとなる可能性も高いわけだ。

 

進路で迷った時も、「論理」よりも「思いつき」の方が満足度が高いかもしれない。

 

なぜなら、この世のそもそもの始まり、人生の意味などというもの自体が、論理を超えているからで、だったら、なにしようがもう突き詰めれば結局論理が崩れているのも同じだし、逆に思いつきの方が「論理」が通っているかもしれないから。

「思いつき」という筋、論理を超えるという筋は通るわけだから。

 

だから、面白い人にあったら、そのまま朝まで呑んじゃう人の方が良いし、

「グランドキャニオン観に行くぞ!」とか言われても、もし論理を超えて「行きたい!」てなったら例え明日とかでも付いてっちゃった方がいいし、

「論理」という条件付きではない、無条件な行動の方がいいよね、という話。

 

「なんとなく」が一番強い論理だ。

だから日頃から直感を磨くというのは大事であって、

そのためにはいかにゴミ情報から遠ざかるか、というのが大事になってくる。

ここらへんの話はまた別の機会に。

 

ちょっと今回は「思いつき」で書いてみたので、「論理」を超えているかもしれない(笑)

冗談です。構成する手間暇をサボってグダグダ書いただけです。反省はしてません。

 

長文読んでいただき、ありがとうございました。