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はればれとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

あなたはいまこの文を読んでいる。

あなたはいまこの文を読んでいる。

 

 

いきなりなんだ?

 

と思われたかもしれない。

しかし、絶対にこの予言は的中しているはずだ。

 

なにか不思議ではないだろうか。

 

ぼくは、これを読んでいる人を全く知らないし、

いつ読んでいるのかも知らないし、

なにもかもわからないことだらけなのに、

 

「あなたはいまこの文を読んでいる」

 

という予言は、(日本語を理解できるならば)絶対に当たるのだ。

 

しかし、この予言は、この文を読まれない限り絶対に成立しない。

 

予言であると同時に、結果でもある。

 

 

こんな感じの予言は他にも可能なのだろうか。

 

「あなたはいま息をしている」

という予言は、読んでいる途中で息を止められたら成立しない。

 

「あなたはいま存在している」

これは的中する。

 

「あなたはいま死んでいる」

これは絶対に的中しない。

 

「あなたの後ろに誰かいる」

 

・・・キャーー!

 

「あなたはいま電子機器の画面を見ている」

これは当たりそう。

 

「あなたは『はてなブログ』ユーザーだ」

これは微妙。

 

 

キリがないので、この辺でいったん止めて、考えよう。

 

この予言ゲームの面白いところはなんだろうか。

 

自分とはなんら関係ない他者とも、なんらかの形でつながっていることを確認できる所ではないだろうか。

 

また任意の時間で成立する予言という点。

 

「何月何日に」といった制限がなく、

100年後でも1000年後でも、この情報さえ見ることができれば、絶対に成立するのだ。

 

どこの誰ともわからない、もしかしたら予言したぼく自身がもう居ないかもしれないのに、予言だけ残る。しかも絶対に的中する。

 

また、「的中させてなるものか!」と反抗しても無駄だ。

なぜなら、「あなたはいまこの文を読んでいる」を読んだ時点で成立してしまうし、読まずに反抗するということはできないから。

 

逆にいえば、この文字を認識できない人、例えば幼児とか日本語を全く理解できない人とか失明している人には、この予言は効力を失ってしまう。

全く同じモノを見ていても、予言が的中する人としない人に分かれるのだ。

 

これをもっと発展させてみると、

たとえば

「あなたはこの文を”見ている”」と変えた場合、幼児でも外国人でも的中する予言になる。

彼らは何が起きたか理解できないが、それでも予言が的中してしまうのだ。

一方、失明している人にはやはりなんの効力もない。

 

しかし点字にしてしまって、

「あなたはいまこれを触っている」

としたら、それは的中する。

逆に点字を理解できない人にとってみればただの凹凸にしか感じられない。

 

そしてなにより面白く、ちょっと怖いな、と思うのは、

この世界には、こうした「認識される瞬間をひたすら待ち続けている」ような予言がおもわぬような所に潜んでいるかもしれないということだ。

 

そうした「予言」はジッと、姿を潜めてどこかに潜伏しているかもしれないのだ。

 

例えば、天井の板の裏側に、地面の中に、あなたの背中に、

「あなたはいまこれを読んでいる」

と書かれた紙が潜んでいるかもしれない。

 

実は、その紙自体は全く恐ろしくない。

本当に恐ろしいのは、「一体誰が、なんのために、こんな所に?」という問いだ。

 

ナスカの地上絵に神秘を感じるのは、そういう所ではないか。

 

 

認識した瞬間に存在する。

 

逆に認識されなければ存在しない。

 

これは古典的な哲学の問題だが、改めて面白いなーと思う。

 

 

そして最後に。

 

思えば、ぼくのこのブログ自体が、

「あなたはいまこのブログを読んでいる」

という予言をしているようなものなのだな、と気づく。

 

1日数十人というレベルでしかないが、その数十人の方は確実にこのブログをみているのだ。

 

そこが、やっぱり面白いなあと思うし、

これは1日ウン十万PVとかそういうブログにはない面白さかもしれないよな、と思う。

 

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

(この文言も、最後まで読んでくれない限り的中しない予言である。)