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ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

なにかに依存している人は弱い。

人間である以上、何かに依存することからは逃れられない。

もし依存するな、というのなら、人間なんて生後1日も持たずに死んでしまうだろう。

 

依存することは、人間に宿命的に与えられたものである。

 

太陽がなければ人は生きられないし、海がなければ人は生きられない。

これも立派な「依存」だ。

 

だから、依存する人は弱い、なんてギョウギョウしく言ったところでそれだけではあまりに当たり前のことなのであまり意味はない。

人間である以上、絶対に何かしら依存せざるを得ない。

つまり、人間なんて、誰でもが弱い。

パスカルはこれを、

人間は考える葦である。

という有名な言葉で表現した。

 

これを大前提とした上で、なお、

「何かに依存している人は弱い」

ということを書いている。

 

何かに依存するということは、

その依存しているものの方に自分の主導権を握られているということだ。

 

例えば。

 

電車で通学・通勤している人たちは、「電車」というシステムに依存していると言える。

もし、電車が時間通りにこなければ、その人たちは全く抵抗できずに、イライラするだけだ。

想像したくないが、電車が大事故を起こしてしまえば、その人たちの人生が一瞬で終了するということもありうるのだ。

もっと範囲を広げて、「乗り物」まで広げると、これは全て依存になる。

 

しかし、自転車であれば、簡単な修理は道具さえあれば自分でもできるので、完全な依存とまではいかないかもしれない。

 

ここからわかるのは、「依存」のレベルを下げるためには「自分でなんとかできる」事を増やすことが必要だということだ。

 

先ほどの電車通勤の話であれば、

・そもそも電車に乗らなくてすむ距離に住む。

・自転車通勤する。

・車で通勤する。

・タクシーを利用する。

 

など、「自分でなんとかする」対抗策はいろいろと考えられる。

まあ、実際には電車通勤はやはりコスト的にも安全性の面でも優れているので利用者が圧倒的に多いのだが。

しかし、対抗策を考えた上で、あえて電車通勤を選ぶ人と、なんとなくで電車通勤を選ぶ人とでは、なんらかの緊急事態に陥った時に歴然とした差がでてくるだろう。

その差こそ「依存」の度合いのことなのだ。

 

しかしもっとやっかいなのは、「精神的な依存」の方だ。

 

人目や世間体を気にしてしまうということは、

自分の価値観を信じずに、世間一般の価値観の方に「依存」しているということだ。

もちろん、世間一般の価値観が正しいことの方が多いかもしれない。

嘘をつくな、とか悪口を言うな、とか、人を殺してはいけない、とかそういう価値観は確かに正しい。

それに従うことがすべて「依存」だなどとは言えない。

しかし、白黒ハッキリしない問題や、自分自身の生き方の問題、ファッションセンスや音楽の好みなどは、世間一般の価値観に依存しているのかそうでないかがハッキリ別れてしまうところだと思う。

 

たとえ奇抜な格好をしているからといっても依存していないとは言い切れない。

それは「世間一般の価値観に反抗する自分」という姿を発信しているだけにすぎず、やはり世間一般の価値観に依存しているだけかもしれない。

そういう人はよく「イタイ人」と呼ばれる。

 

どういう職業についたらいいのか、ということも、

いろいろな業界研究をすることとか、人の話を聞くこととかはかなり重要なことだが、それを踏まえた上で、やはり最後に決めるのは自分だ、ということを認識できていないとただの「依存」になってしまう。どこかに正解を求めてしまう。

 

決断力のある人というのは、自分の価値観に従ってなにかを選択することのできる人のことで、言い換えれば「依存」を断ち切る勇気のある人のことだ。

もし依存したまま、無理やり「決断した」ように見せかけた場合どうなるかというと、

「言い訳」をするのだ。

逆にいえば、「言い訳」をした時点で、なにかに「依存」していたことがハッキリわかるのだ。

 

依存している人がなぜ弱いのか。

それは「自分でなんとかする」という主導権を放棄してしまっているからだ。

コントロールできないからだ。

 

冒頭にあげたパスカルの「人間は考える葦だ」という言葉は、

「人間は葦だ。しかし考えることのできる葦だ。」という風に捉えることができる。

考えるということは、つまり主導権を握ろうとすることだ。

 

完全に依存しないということは無理だが、

できる範囲で、自分でコントロールできることを増やすこと。

そのためには自分がなにかに依存していないか、と考えて、もし依存を捨てられる方法があるのであれば実行すること。

物質的なことであれ、精神的なことであれ。

もし依存せざるを得ないとわかったのであれば、それはもう正直にさらけ出してしまうこと。かわいげのある人はそれができる人だ。赤ちゃんとかかわいいおばあちゃんとかそういうイメージだ。

(もしかしたら、戦略的に依存するという方法もあるのかもしれないが、失敗するとただのぶりっ子になってしまうので難易度が高い)

 

 

晴れ晴れとにっこり笑うには、やっぱり自立せねばな、と思ったのでグダグダまとめてみました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。