ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

面倒くさいことの効用。

AIやロボットの話題になると、

「そのうち面倒くさいことは全部AIやロボットがやってくれるようになって、人間はそれ以外のラクで楽しいことだけできるようになる。」

という風なことが言われることが多い。

 

たしかに、危険な作業や、単純労働、繰り返し同じ作業を長時間やる、といったことはどんどんそういったテクノロジーが進出してきて、人間の出る幕はなくなるだろう。

 

しかし、「面倒くさいこと」にも種類があると思う。

 

1つは、上述したような、人間がやることにさして意味があるとは思えないようなこと。

2つは、「あえて」という言葉が似合うような、面倒くさいこと。

 

であるとぼくは考えている。

 

1つ目に関しては、どんどん人間の出る幕は無くなっていくべきだ。

惰性でダラダラと単純作業をやって、「あー超つまんねえな、早く終わらねえかな」みたいな仕事をして過ごすほど人生はケチなものじゃないと思う。

そんな事は、ロボットやAIのほうが早く、正確に、文句も言わずにやってくれるだろうから、やる必要がないし、やってはいけないと思う。

 

一方の、『「あえて」が似合うような面倒くさいこと』とは具体的にどういう事か。

 

メールやLINEではなく、「あえて」直筆の手紙。

インスタントコーヒーではなく、「あえて」豆から挽いて丁寧に淹れるコーヒー。

ポテチを袋のまま食べるのではなく、「あえて」お気に入りの皿に移してから食べる。

掃除機ではなく、「あえて」ほうきと雑巾で丁寧に拭く。

ネットですぐ調べるのではなく、「あえて」本や人づて、現地に行って調べる。

既製品ではなく、「あえて」DIYやヴィンテージ品を使う。

・・・

 

などなど。

 

これらは、すべて「あえて」やることによって、本来の目的以上の付加価値が付いてくることだ。

 

その付加価値とは、「ぬくもり」と表現するのが一番しっくりくるようなものだ。

人の体温を感じられること。

人間らしさ。

 

「人間らしさ」は、「面倒くさいこと」を「あえて」する、という所に現れるのではないか。

 

もっとラクで、すぐできる方法もあるのだけれど、あえて一手間も二手間もかかること。

 

 

以前、「めんどうくさいの構造分析」という記事を書いた。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

「めんどうくさい」は「複雑」「工程が多い」「時間がかかる」の3要素で成り立つのではないか、と分析したのだけれど、

 

特に、「時間がかかる」という側面が、「人間らしさ」と直結しているのだと思う。

 

哲学的な話になるけれど、

人生、もっと言えば命、生きるということ、は突き詰めて考えると、「時間」になる。

 

つまり、「時間をかける」というのは、そのまま「命を使う」と言い換えて差し支えない。

 

人は、「自分のために命を使ってくれた」と感じる時に、「ぬくもり」「あたたかさ」を感じる。

それが現れやすいのが「めんどうくさいこと」なのだ。

 

ヴィンテージ品に良さがあるのは、そのモノが経てきた「時間」を感じられるからではないか。

古ければいいというものでもなく、人が大切に使ってきたとわかるものほどヴィンテージとしての価値が高い。

それは、そのモノに対して人が時間を使ってきた、つまり使う人の「命」が堆積している、と言い換えられ、そこに「良さ」が滲み出てくる。

 

逆に、最初にのべた、AIやロボットに代替されるような「面倒くさいこと」は、それに時間をかければかけるほど、人としての豊かさが失われてしまうようなことだ。

 

時間をかければかけるほど、良いというわけでもないのだ。

 

・・・

先日、ミヒャエル・エンデの名著、「モモ」を読んだ。

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

この物語は、まさに今回述べたような「めんどうくさいこと」や「時間」について、示唆に富む内容となっている素晴らしい本だった。

現代人必読の書の一つである。

 

同じ時間でも、「何をするか」によって、時間の質は全く異なってくる。

 

その質の差を生み出すのは「人間らしさ」なのだと思う。

 

 

ダラダラと書いてきたので、論点がフラフラしてしまった。

最後にまとめると、

「めんどうくさい」は一概に悪いことではなく、

むしろ、より豊かになるための指標のひとつになりうるかもしれない、ということ。

より豊かになるためのめんどうくささ、には人間らしさ、時間が密接に関連しているということ。

 

「めんどうくさいなあ」と思った時、少し考える余地があるかもしれない。