ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

情報の解像度をあげる方法①

前回の記事で、コミュニケーションの質をあげるためには、「情報の解像度」をあげる必要があるのではないか?と書いた。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

今回は、その「情報の解像度」をどうすればあげることができるのか、考えてみたい。

 

方法1 ホンモノに触れること。

 

パッと思いついたのは、このホンモノに触れることだと思う。

 

現代は、情報技術の発達によって、ホンモノに触れずとも、「なんとなく知っている」という状態になりやすくなった。

 

「第九」を聴きたければYouTubeで検索すれば出てくるし、

エンゼルフィッシュ」がどんな魚か知りたければ画像検索すれば一発だ。

Google earthを使えば、イタリアのヴェネツィアの街路を見ることだってできる。

 

さらに最近ではVRというものまで登場し、今後ますます現実世界と仮想世界の区別がつきにくい世界になっていくのだろうと予想できる。

 

しかし、ホンモノにはホンモノにしかない空気感、オーラ、情報がある。

 

どれだけ高性能の録音技術、スピーカーをもってしても、プロの生演奏には敵わない。

エンゼルフィッシュの立体感はやはりホンモノを見るしかない。どんな動きをするのか、どんな生態なのか、を本当に知りたければアマゾン川に飛び込むしかない。

ヴェネツィアの空気を吸うには、現地まで飛ぶしかない。

 

VRがどれだけ発達しようと、その場の空気、質感、などを完全に再現することなど、(すくなくとも当分の間は)不可能だろう。

 

では、なぜホンモノに触れることで解像度があがるのか?

ホンモノにしかないものとは、一体なんなのか?

 

それは、ホンモノにしかない情報、つまり「0と1の間にあるもの」を体感することによって、自らの情報に対する感度があがるからだと思う。

 

現代の情報はデジタル、つまり0と1の羅列で成り立っている。

しかし、ホンモノの世界はアナログであり、0と1の間も繋がっていて、連続性がある。

 

アナログとデジタルの違いについて、以下のブログがかなりわかりやすかったのでリンクを貼っておく。(管理人さんへ:勝手に貼らせてもらいました。不都合がありましたらご連絡ください。)

giraffeong.com

 

ホンモノを伝えるためには、なんらかの情報の置き換えをしなければならない。

簡略化できるところは切り捨てて、0と1に分断してしまう。

どれだけ高い技術をもってしても、極限のところではやはり0と1に分断される。

肉眼では判別できないような差だとしても、やはり、情報そのものには違いがでてくる。

 

デジタルではなく、人の手などによって複製すれば、確かにアナログの仕事になり0と1の差は埋まるが、やはり、ホンモノにしかない空気までは再現することは不可能だ。

「ホンモノ」とは、そのモノ自体以外にも、歴史的背景、経てきた時間、などの付加的なものも含めてのものであり、それらすべてを再現することは不可能だ。

 

(たしかに、現代芸術家の中には、「ホンモノ」ということを否定し、誰が作っても同じものになるという、作家性をあえて消した作品を作った人もいる。マルセル・デュシャンのレディ・メイドの作品群や、アンディ・ウォーホルポップアートなどは代表例。しかし、たとえ作家性を否定し、誰でも再現可能な作品であったとしても、「ホンモノ」は存在する。作品そのものではなく思考過程に、作品として世に出したということに、「ホンモノ」が宿るからだ。)

 

ゴタゴタと書いてしまったが、ようは、「ホンモノにしかない情報に触れて、情報の感度をあげること」によって、自らの情報の解像度をあげることができるのだと思う。ということです。

なぜ、解像度をあげることが可能なのか?

ホンモノにしかない情報を知ることにより、「この情報はホンモノか?」ということに意識的にしろ、無意識的にしろ気づくことができるようになるからだと思う。

 

長くなってきたので、今回はここまで。