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ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

『死してなお踊れ』がめちゃくちゃ面白かった話。

 

 

 先日、栗原康の『死してなお踊れ:一遍上人伝』を読んだ。

死してなお踊れ: 一遍上人伝

死してなお踊れ: 一遍上人伝

 

あまりに面白かったので、ブログにしてみたいと思う。

 

面白さ①:ラップのような独特な文体 

まず、この本の特徴として第一にあげられるのは、独特の文体である。

 

目次からして、独特だ。

「オレもおまえもダメなんだ、捨てちまいな」

「念仏に作法なんてない、はしゃいじまいな」

「国土じゃねえよ、浄土だよ」

・・・

こんな具合。

 

本文も

 

「なんにもないね、いましかないね。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。死んだつもりで生きてみやがれ。やるならいましかねえ。」

 

のように、ここぞ、という時でリズムを捉えてくる。

ラップを聞いているような、そんな感覚になってくる。

 

現代版『平家物語』のような感覚だ。

平家物語はもともと盲目の琵琶法師が歌って語っていたものを文に起こしたものだ。

そのためリズム感や言い回しが音楽的なものとなっており、読む側も「語りかけられている」ような感覚を抱く。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。・・・」

黙読するよりも、音読する方がしっくりくるような文体だ。

 

『死してなお踊れ』も全部が全部というわけではないが、こうしたリズム感が随所に感じられるようになっている。

音読したくなるような文体なのだ。

 

面白さ②:予備知識がなくてもスイスイ読める

独特な文体と合わせて、この作品を面白く、また読みやすくしているのは、予備知識が無くてもスッと入り込めるような構成を取っていることだ。

 

一遍上人の出自からはじまり、なぜ踊り念仏を始めるに至ったのか、その思想の核はなにか、なぜ一遍上人が面白いのか、小難しい話は一切なく、中学生でもすんなり理解できるようになっている。

一遍上人?ああ、はいはい時宗の人ね、ようは念仏を踊って広めた人でしょ」みたいな受験のためだけに覚えた血の通っていない知識ではなく、一人の人間の生き様、ドラマとして知ることができる。

 

また、一遍の思想の核となる、「浄土教」についても知ることができる。

南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽浄土にいくことができる。」

というのが核なのだが、これだけではただの怪しい宗教としか思えない。

いまどき死後の極楽浄土を信じろと言われても無理な話だ。

 

これのなにが一体そんなにすごいことなのか、あくまでも著者の解釈ではあるが、知ることができる。

現代に生きるぼくたちにとっても、というより、現代社会にこそ通用する話なのだ。

 

面白さ③:面白く生きるための一つの考え方として

なにより、この本を読んで面白く、良かったと思ったのは、面白く生きるための一つの考え方を知ることができたことだ。

 

その考え方とはなにか。

一言でいえば、「捨てる」ということ。

 

普通に考えて、踊り念仏なんて、奇妙で危ないわけのわからない集団としか考えられない。

なぜ、奇妙で危なく感じるのか。

必然性が感じられないからだ。

無目的、無条件だからだ。

 

現代人は特に、「なになにの為に」とか「これをやったらこうなる」とか「こうしたら後々有利になる」とか、そういった「有用性」「意味性」を求めてしまう傾向がある。

よくわからないことをしていたら、「なんのために?」「なぜ?」「それをやって意味があるの?」という疑問がまず思い浮かんでしまう。

 

でも、そもそも、生きるということ自体を冷静に考えてみると、それらしい理由なんてなにもないのだ。

 

ぼくの好きな言葉で、

「何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ」

というビートたけしの言葉がある。

 

つきつめて考えてみると、生まれてくることに理由なんてないし、生きることにも理由がないし、死ぬことにも理由がない。

本来生きること自体、無目的、無条件なものであるはずなのに、なにかと意味付け、理由付けをしようとするから執着や苦しみ、悲しみが生まれてくる。

 

「いい会社に入ろう」とか「より多く稼ごう」とか「いい人と伴侶になりたい」とか、そういうのはあくまでも生きる手段にすぎなくて、目的ではない。

しかし、気をつけないと、その手段自体が目的化してしまうのだ。

 

本当の目的は「生きること」であるはずだ。

その「生きること」には理由がなく無条件、無目的なのだということを冷静に考える必要がある。

なんだかよくわからないけれどとにかく生まれてきた以上、生きることを味わい尽くす、それが本当の無条件的な生き方ではないのだろうか。

 

一遍は、「踊り」という無条件、無目的な行為をすることによって、そのことを表現しようとしたのではないか。

 

生きることに理由付け、条件なんていらない。

そんなものは捨てちまいな。

無目的に、無条件に生きろ。

 

ぼくは、この本からそのようなメッセージを受け取った。

 

おわりに

無条件、無目的に生きる。

 

kazfumi.hatenablog.com

僕の大好きな岡本太郎も全く同じ哲学を持っていた。

だから、岡本太郎が好きな人は多分、一遍にもハマると思う。

「瞬間、瞬間に死んで、生きる。」

これが主題であるという点で共通しているのだ。

 

見返りなども当然求めない。捨てる。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

 

それから、著者の栗原康さんにもめちゃくちゃ興味がわいたので、他の著書も読んでみようと思う。アナキズム関連の本も読む。

 

 

それからこの本を読むきっかけを作ってくれたのは、ほかでもない、このはてなブログだった。

sushi-love.hatenadiary.jp

こちらのブログを読んだのがきっかけだった。

ありがとうございました。

 

こうした思わぬ出会いがあるのが、ブログの面白さだなあと感じた。

 

ぼくのブログも、第一には僕自身の思考整理という目的があるのだけど、偶然目を止めてくださった誰かのなにかしらのきっかけとなってくれたら、こんなに面白いことはないな、と思う。

 

皆さんもぜひ、『死してなお踊れ」ご一読くださいませ。