ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

歴史を学ぶには、旅に出るのが一番いいという仮説。

歴史とは、人々が実際に行ってきた「リアル」な体験のことだ。

教科書に書いてあること、というのはどこか嘘くさいような、フィクションくさい気がしてしまうのだが、正真正銘、過去に実際に起きた出来事なのだ。

なんといっても、教科書に書かれるぐらいなのだから。

 

歴史を学ぶということは、実際にそれが起きたという「生々しさ」をまざまざと感じるということなのではないか。

 

そんなようなことを小林秀雄先生がどこかで書いておられたと思う。間違っていたらスミマセン。

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

では、その「生々しさ」を学ぶ為にはどうすればいいのだろうか。

実際にその歴史が生まれた場所に行くことではないだろうか。

 

実際に起こった出来事なのだから、当然、地球上のどこかに、その現場はある。

時間は共有し得ないが、場所は共有することはできる。

身体感覚として、その場所の意味を感じることができる。

 

 

 

不謹慎な例かもしれないが、街中のなんの変哲もない電信柱や交差点に花束が置かれている光景は誰もが目にしたことがあるだろう。

あの花束を目にすると、いつも「生々しい」感覚をうける。

場所自体はなんの変哲もない、ただの電信柱、道路である。

しかし花束が置かれるだけで、「交通事故」という歴史の生々しさが生み出されるのだ。

 

その生々しさは、記事で「昨日◯◯の交差点で交通事故が起きました」という情報を読んだだけでは得ることのできない生々しさだろう。

やはり、その場所そのものに宿る生々しさ、というものがあると思う。

 

教科書に載るような出来事も同様に、現地に行くことで初めて感じることのできる「生々しさ」があると思う。

 

 

これとは逆のパターンもあると思う。

 

つまり、「うわーすごーい、超キレーイ」というような、単純にその景観だけを目的に観光地に行った後で、「実はあの場所はね、、」と歴史を学ぶ場合だ。

 

「え、あの場所って、そんなに凄い場所だったの!?」

と。

 

この場合もやはり、実際に自分がその場所に行ったという身体感覚があるからこその「生々しさ」なのだと思う。

 

どちらのアプローチをとってもいい。

つまり歴史を学んでから現地に行くというアプローチと、

行き当たりばったりで、ある場所に行き、そのあとで歴史を調べるというアプローチだ。

いずれにしろ、現場に行くということ。

 

歴史を学ぶということが、「生々しさ」を感じるということなのであれば、

歴史を学ぶには、旅に出ることが一番いいのではないか。

 

自分の身体感覚と合わせて学ぶことで、歴史に生々しさが宿る。

そうして学ぶ歴史は、絶対に面白い。すらすら頭に入ってくるに違いない。

これが旅に出ることが一番いい歴史の学び方ではないか、という仮説の根拠だ。

 

さらにもう少しだけ続ける。

 

歴史とは人々が実際に行ってきた「リアル」な体験のことだ、と一番最初に書いた。

この「人々」にはもちろん、自分も含まれる。

突き詰めて考えると、日々の生活自体が、各人にとっての歴史となっているのである。

教科書に書かれるような歴史は、多くの人々に影響を与えた、とか後の社会システムに大きく影響している、とか規模の大きいものに限定されているだけで、日常、この瞬間瞬間に、個人レベルで歴史は常に生産されているという事実は忘れられがちだ。

 

そして、上でも述べてきた通り、歴史を考える上では「場所」も重要な項目となると思う。

 

たとえば、なんの変哲もない近所のスーパーであっても、「はじめておつかいにいったスーパー」という歴史が重なると、その途端にその場所は自分にとって特別な場所として感じられる。

なんの変哲もない小さな公園であっても、「人生初のキスをした公園」とかであったら、その公園に行くたびに甘酸っぱい感情を抱く特別な場所になるだろう。

 

ということは、そういう場所が多くなればなるほど、自分の歴史も深まっていくという考え方もできるのではないか。

 

 

もちろん、部屋に引きこもって、論文の超大作を書いていました、とかギターの特訓ばかりしていました、とかそういう歴史をつくることもできるかもしれない。

(だから、大抵の人は自分の部屋に愛着がわくのだと思う。自分の歴史と密接に関わる場所であるから。)

 

しかし、ここで述べてきたように、歴史にはつねに「場所」もセットでついてくる。

場所が多ければ多いほど、それだけ「歴史」の方も多様になるのではないか。

 

もちろん、同じ場所に長くいるからこそ生まれる歴史というものもあるだろう。

それはそれでいい。

だが、質的に変化を求めるのならば、多様性を求めるならば、やはりいろいろな場所に旅にいくということは、かなり有効なことなのではないだろうか。

 

若いうちに旅に行っておけ、とよく言われるのは、こうした理由からなのではないか。