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ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

手段と目的を区別すること

ルールはなんのためにあるのか?

ルールはなんのためにあるのか、を考えると、

人と人が気持ちよく共同作業をするためだ、ということだと思う。

 

だから、本当はルールなんて無くてすむなら無いほうがいいのだ。

一応定めておかないと、みんなが迷惑する可能性があるから、というだけの存在のはずだ。

だから、もし「ルールを破ることになるけど、結果的には全員ハッピーになる」ということであったら、ルールなんてどんどん破ってしまえばいいと思う。そこで、「いや、そこはルールだから」とか言う人とは僕は友達になれそうにない。

 

つまり、ルールは「気持ちよく共同作業をすること」という目的のための手段にすぎない。

ところが、この手段であるはずのルールが、目的化してしまうと、途端におかしなことになる。

 

『生きる』を例に。

黒澤明の『生きる』をご覧になったことはあるだろうか?

 

生きる[東宝DVD名作セレクション]

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黒澤明監督作品のなかでもトップクラスにおすすめできる映画なのでぜひ観てみることをおすすめする。(その他の作品については以下の記事でまとめています。)

 

kazfumi.hatenablog.com

 

 

『生きる』の話に戻る。

この作品で描かれていた市役所の官僚的なシステムは、

手段にすぎなかったはずのルールが目的化してしまっている状況をわかりやすく描き出している。

 

「市民のため」という本来の目的を見失い、スムーズに相談に乗るために設けられたはずの「◯◯課」という役割分担、「手段」が、それ自体が絶対条件かのように目的化してしまっている。

「◯◯の問題は◯◯課へ」ということ自体を目的化してしまっていて、

「◯◯の問題を解決するためにはどうすればいいか?」という本来の目的を見失ってしまっているのだ。

 

また、この『生きる』では、より範囲を広げて、手段にすぎなかった仕事を目的化してしまっていた自分の生活を見つめ直して、再び本来の目的である「生きる」ということに目覚める、という構成をとっている。

 

本当にいろいろと考えさせてくれる映画なので、何度も観ている。おすすめだ。

 

悩むのも手段の目的化によるもの

手段と目的を混同してしまうと、なにかがおかしくなってしまう。

 

「悩む」というのも、この手段と目的の混同によるものだと思う。

 

生きているといろいろなことで悩んでしまう。

悩むことがすべて無駄なことだとは思わないし、悩みがないなんて人はいなくて、「悩まないようにしている」人がいるだけだと思う。

 

では、「悩まないようにしている」人は、どうやって物事を考えているのだろうか。

僕自身、結構悩んでしまう体質なので憶測でしかないのだけれど、

彼らは「何が目的なのか?」を見失わずにいることができているのだと思う。

 

その本当の目的とは一言で言えば、「気分よく生きる」ということだろう。

この目的が見えている人は、悩むことをやめて、「考える」ことができる。

「考える」ということは、目的のための手段という立ち位置を見失わないでいることだ。

「悩む」ということは、悩むこと自体が目的化してしまっている。

 

「考える」ということは、「今なにを考えているのか」「なんのために考えているのか」「これが分かると次に何が分かるのか」など、常に「目的」がベースにあるのに対し、

「悩む」ということは、それら全てが不明確になってしまっている状態のことだ。

強いて言えば、「悩むために悩む」ということになるだろうか。

 

悩むこと自体が目的化しているということは、どういうことだろうか。

ようは「サボっている」のだ。

生きることをサボりたいだけなのだ。

「悩む」という仮の目的をこしらえることで、

本当に考えるべきことから自分を遠ざけているだけなのだ。

 

では、本当に考えるべきこととはなんだろうか。

やはり、「生きる」ということに行き着くのでは無いだろうか。

 

前の記事でも書いたが、

 

kazfumi.hatenablog.com

 

この本は、そんな感じのことを考えさせてくれる。おすすめ。

なによりめちゃくちゃ読みやすいし、面白い。

 

おわりに

目的を見失わずにいることができる人は悩まない、と書いた。

その目的は、究極「生きる」ということになるのではないか、とも書いた。

 

でも、よくよく考えてみれば、

「悩む」ということも「生きる」ということには欠かせないものだと思うし、

そこで矛盾するよな、と気づく。

 

だから、こんな記事を書いたくせに、

今後もやっぱりうじうじ悩み続けていくのだと思うし、

それはそれでもういいや、と思うしかない。

 

ようは、楽しく生きたい。

 

 

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

この記事は、この本を参考にして書きました。

このブログで過去なんども取り上げているけれど、本当におすすめ。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。