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ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

バカげた事を大真面目にやると面白い

2007年に大ヒットしたドラマ『ガリレオ』を覚えておられるだろうか。

ぼくが個人的に好きなくだりがあって、

福山雅治扮する天才物理学者の湯川が、柴咲コウ扮する新人女性刑事の内海と大学の食堂で交わす会話シーンだ。

 

湯川「たとえば、きみが犬のウンチだとしよう」

 

犬のウンチだとしよう

 

内海「・・・ファ!?」

 

湯川「そこで『なぜ、犬のウンチは臭いんだろうか』と考え込むバカはいないだろう?

考えてもムダなことは無視するに限る」

 

 

ザックリこんな感じの会話だった。

正確ではない。

 

当然、内海刑事はブチ切れて帰ってしまうのであるが、湯川はポツリと「さっぱりわからない」とつぶやく。

 

ぼくは心底笑ってしまったのを覚えている。

でも、なんで笑ってしまったのだろうか。

 

美人刑事を犬のウンチに例える、という部分でまず笑ってしまう。

そしてそれ以上に、その仮説を大真面目に語る湯川の態度にも笑ってしまったのだ。

 

普通なら「人をウンチに例えるのは失礼だ」という認識が全面に出るだろうが、湯川はそんな事はおかまいなしに「仮説は仮説」という感じで、その先の事を考えている。

 

「いやいや、気にするポイントはそこじゃなくて」

という所に、笑ってしまうのだ。

 

このように、ちょっとズレている感覚を持っている人が大真面目に何かに取り組んでいると、面白い。

それは外から見ると、「バカげた事」のようにうつるが、当人にとっては大真面目なのだ。

 

ちょっと種類が違うかもしれないが、また別の例。

 

まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんがいるとしよう。

その子が一生懸命に階段を登ろうとしている様子をみて、ほほえんでしまうのもこれと同じ理屈が働いていると思う。

 

階段をのぼるという普通気にも留めない日常生活の超どうでもいいことが、

ヨチヨチ歩きの赤ちゃんにとっては目の前に立ちはだかる強大な敵のようにうつっているのだろう。

彼らにとっては、世界中のどの大問題よりも、目の前の階段を登るということが最重要課題になっているのだ。

大真面目だ。真剣だ。

しかし、それを見ている大人たちは仏のような顔になってしまう。

 

これもある意味では「人とズレている感覚」で「バカげた事」を「大真面目」でやっているという風に捉えられるだろう。

 

思えば、オタクと呼ばれる人たちも、まさにそんな感じの人たちではないだろうか。

普通の人はなんとも思わないような細部に異常にこだわる。

普通なら意識すらしないような事を大真面目にアツく語ってしまう。

 

しかし、大衆化されたものをウジャウジャと群がって「萌え〜」とかやっているのは、もはや「人とズレている」とはいえず、あるジャンルの中での多数派になってしまっているので、僕が思う面白いオタク像にはあてはまらない。

 

ひっそりと、めだたない所で黙々とやっていて、

ある日突然「えっそんなすごい事やってたのか!」となるような、そんなオタクがワタシは好きだ。

 

そして、そういうオタク同士がある瞬間に意気投合して、「お前もか!」みたいに繋がると、すさまじい物を作ってしまったりする。

初期のAppleとかはそんな感じだったんだろう。

 

「お前もか!」となるためには、やっぱり引きこもって目立たずに没頭する時間が必要になってくると思うし、「こんな感覚、きっと誰も理解してくれない」という孤独を耐える必要があるだろう。

 

しかし、必ず、「面白い!」と言ってくれる人が出てくる。

 

誰も理解してくれなくても、それでも大真面目に取り組んでしまうようなバカげた事。

大真面目だけど、それをやっている最中は面白くて面白くて仕方がないようなもの。

 

きっとそういうモノを持っている人はたまらなく魅力的だし、絶対面白い。

 

そういう人にワタシはなりたい。

 

おわり。