ハレバレとニッコリ笑う人生を

日々、考えたことをまとめています。

結局、人に好かれる人は人の役に立つ人だ。

どうすれば好かれる人になれるだろうか、という問いに身も蓋もない答えを出すとしたら、「役に立つ人になれ」だと思う。

 

結局、人が人に求めるものは、「この人は私に何をしてくれるのか」ということだ。

与えてくれるものが多ければ多いほど、その人は大事な人になるし、

逆に何も与えてくれない、もしくは奪ってばかりの人とはできるだけ近づきたくないと思うのが普通だ。

 

ほとんどの仕事は、人に何かを「与える」行為とみなすことができる。

与えて、喜ぶ人が多ければ多いほど、その仕事の価値はあがる。

与えることのできる人が少なければ少ないほど、その仕事は希少価値が高くなる。

 

 

それは収入に直結するかもしれないし、しないかもしれない。

しかし、「与えている」実感が確かであるほど、人は充実感を感じ、幸福度も増すだろう。

 

与えることが多い人ほど、周りに人が集まり、仕事も集まり、成功し、幸福度も上がり、好かれる。

 

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)

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だが、こう書いていて、なにか引っかかるような感じを抱くのも、また事実だ。

 

人の役に立つことだけが、その人の価値だ、というのは本当なのだろうか。

役に立たない人は居る意味がない、ということなのだろうか。

 

 

わかりやすい例は、「赤ちゃん」だろう。

彼らは、自分のことは誰かに手伝ってもらわなければほとんど何もできない。

見放されたら、何もできない。

何か役に立つ仕事ができる訳でもない。

むしろ彼らは親の時間と労力を「奪う」ことしかしない。

しかし、その「奪う」という行為が、親にとってはなによりの喜びとなるし、奪われているはずなのに、逆に赤ちゃんの方からなにかを「与えられている」感覚すら抱くのだろう。親になったことがないので本当のところは分からないけれど、周りにいる子育て中の人を見ているとみんな、そのような印象を受ける。

 

もしくは、なにか重大な事故を起こしたりとか、病気になったりとか、障害をもっていたりとかで、人の助けがなければ何もできない状況というのは必ず発生する。

そうなった場合には「与える」どころか、「奪う」ことしかできない。

しかし、必ず、そういう人に与えてくれる人というのは現れるもので、彼らは「奪われる」ことを気にしないばかりか、自分の「与える」ということに喜びを見出したりもする。

 

「役に立たない」「役に立てない」ということこそが、誰かにとっての「役に立つ」ということになる場合もあるということだ。

 

何が人にとって役に立つか立たないか、は価値観の違いとか、状況によっても違ってくるし、同じことをしていても、人によって「与える」「奪う」両方の意味を持つ場合があるということだ。

 

だから、なにが人の役に立つのかということは一概に言えない。

人の役に立つことをしようと思っていたはずなのに、結果的に奪うような結果になってしまう、なんていうことも起こるかもしれない。いわゆる「ありがた迷惑」というやつだ。

 

それに、「すぐに役にたつことは、すぐに役に立たなくなる」という言葉もあるように、「役に立つ」ことを早急に求め過ぎても、長期的には奪うことに繋がるかもしれない。

現在、地球が直面している環境問題など、その最たるものだろう。

 

数学の難しい理論とか、最先端の宇宙の研究とか、歴史の研究とか、生物の研究とか、一見すると「なんの役に立つの?」というものばかりかもしれないが、役に立たないと思っていた研究が思わぬところで見出されて、ある日突然素晴らしい成果に結びつくということもある。

むしろ「役にたたない研究」を意識してやればやるほど、実は後で役にたつこともあるかもしれない。それが発見されるのは、本人が亡くなった後である場合もあるだろうけれど。

 

 

・・・とグダグダいろいろな場合を想定してみたけれど、結局は、なんらかの形で「人の役にたつ」ということができれば、人に好かれるのは確かだろう。

 

もっと言えば、「この人は何を求めているんだろうか?」ということを敏感に察知し、それを適切に与えることができる人は、誰からも必要とされるようになるだろう。

 

究極は、その人の存在それ自体が、与えることに直結する人だろう。

この人と一緒にいるとなぜか楽しくなって、元気になってしまう、という人だ。

そういう人になれれば、もう無敵だ。何をやっていてもまず生きていけるだろう。

 

「赤ちゃん」なんて、それの代表格だ。

何もしてくれなくても、時間と労力を奪ってばかりでも、それでもいてくれるだけで価値がある。彼らはそこに居るだけで、何かを「与えている」。

それは「癒し」かもしれないし、「希望」なのかもしれないし、「未来」なのかもしれない。

 

そして、「自分なんて何もできないし、与えることをせず奪ってばかりで、生きていて価値があるのだろうか」と悩んでしまいそうになったら、「どうすれば人の役にたつことができるだろうか」という方向へ目を向けていけば答えが見つかるかもしれない。あるいは、役に立つか立たないかは別にして、なにか熱中できるものを見つけるとか。あとで何かに繋がるかもしれない。

 

笑顔でいることとか、気持ちよく挨拶をすることとか、そんな程度のことでさえも、確実に「与える」ことになるだろう。

あと、与えてくれる人に出会ったら、変に気負わずに素直に

「うわっめっちゃ嬉しいです!ありがとうございます!」

と喜んで、いい意味で「ズウズウしく」受け取ることこそが、また「与える」ことになるかもしれない。

 

押し付けがましい「与える」は結局は「奪う」ことになってしまうかもしれないが、

そうではなく、自然に「与える」ことのできる人の周りに、人は集まる。

 

 

ぼくの周りにいる、素敵な人たちを観察してまとめるとこんな感じになります。

ぼくもそういう人になりたい。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。